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会社概要

太平洋戦争が終わって間もない頃、当時は極端に日常の生活物資が不足しており、ひもじさと我慢比べの毎日でした。ある日町中を歩いていると長い行列があり、よく見ると並んでいる人々は手に手に配給された粉の袋を抱いている。行列の先頭には「製麺所」の古びた看板があり、人々はそこで配給された粉を麺に加工していた。敗戦の町並みにあってこの一角だけが特別に輝いていました。
「これだ!」。私は喜多方に帰って製麺工場を開くことを決意し、医学という自分の夢を捨てるために、何かそれに代わるきっかけが欲しかったのかもしれません。

 

喜多方に戻るとすぐ製麺機を求め、「はすぬま製粉製麺工場」の看板をあげました。今でこそ喜多方ラーメンの町として十数社の製麺工場がありますが、当時は弊社だけでした。
やってみると幸いなことに喜多方市には飯豊山の伏流水が縦横無尽に流れており、この清水が大量に湧き出これが麺づくりに大いに役立ったことは言うまでもありません。しかし、麺づくりには分からないこともいっぱいあり、全国を飛びまわり同業者を訪ね、新商品を買い求め話題の品を食べる思考錯誤の毎日を繰り返し。医学への夢を捨てさせてくれるのに十分な忙しさと困難な毎日を手に入れることができました。

 

喜多方ラーメンブームが突然の様に起こったのは、今から十数年ほど前のころ。NHKがテレビで紹介したことから始まり、「蔵のまち喜多方」を取材にきたのだが、ラーメン屋が沢山あるのに驚き、それも合わせて紹介したところ一挙にブームになりました。
工場もいきなりフル稼働状態になり、マスコミの取材は連日の様にありました。ふと気が付くと同業者は十数社に増えており、ラーメン屋は150軒になろうとしていた。
わずか人口3万5千人、地酒と漆器と農業が主産業の田舎町はこれ以降年間百億円の地場産業を抱えることになりました。大手スーパーやデパートなどから取引の申込みも相次ぎました。しかし、私は原則としてこれらの取引には応じませんでした。

 

そばでもラーメンでも麺類は鮮度が生命であり、厳重な品質管理を行うことが美味しい麺の条件だと信じているからです。だから私は今でも工場から直接消費者へ届けることを原則としています。また、無理な大量生産をしないことこそが品質管理の最高方法と決めているのです。
後発の同業がスーパーへ卸販売を行い、ぐんぐん売上を伸ばし、会社を大きくさせても私には気になりませんでした、私のやり方を通しています。

 

会津は信州、山形と並ぶそばの産地です。この豊富な原料を使って日本一のそばを作ることが私の最後の仕事。磐梯山麓雄国地区のそばを原料に「雄国そば」を作っていますが、これも中々良い原料で、奥行きの深い素材です。
これは東京の三越デパートと共同開発したものです。これからもそばは私に様々な難問と魅力を与えてくれるでしょう。飯豊山の冠雪を毎朝晩眺めながら私は今日もあちこち歩き回っています。
美しい会津の自然、豊かな大地と四季が、はかりしれない恵みをもたらしてくれます。医師にはなれなかったけれど、私は幸せだったと思っています。